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日本の武士道

日本の思想・哲学と聞くと、何を想像しますか? このページでは、現代日本人の思想・哲学の大きな根幹となっている考え方、「武士道」についてご紹介します。

  • 武士道とは何か
  • 7つの徳
  • 武士道の名言
  • 現代への影響

武士道とは何か

「武士道」とは、19世紀に、教育者、思想家であった新渡戸稲造が、日本の武士道を海外に紹介するために、英語で書かれた本の名前です。 もちろん、広い意味での「武士道」には、日本の武士の時代が始まって以来江戸時代までの思想が含まれますが、ここでは、「武士道」として広く知られている新渡戸稲造が提唱した武士道について触れます。 新渡戸稲造は、19世紀にアメリカやドイツに留学した後、札幌農学校教授になりましたが、体調を崩したことをきっかけにアメリカ・カリフォルニア州で転地療養した際に武士道を書き上げました。新渡戸自身は、キリスト教徒で、外国人から日本人の道徳意識の強さについて質問された時に、それを説明するために「武士道」を書くことを思い立ったのだそうです。

新渡戸によれば、「武士道」とは、仏教・神道・孔子・孟子の教えを元に長い時間をかけて日本人の精神を形作ってきた、考え方、道徳、日常生活における規範であり、武士だけでなく、多くの日本人に共有されてきた考え方です。 新渡戸が外国人(この当時の想定は欧米人)にできるだけわかりやすく日本の精神を説明しようとしたために、単純化しすぎている、また彼自身がキリスト教徒であったために、キリスト教の影響が感じられる点などが批判されており、書籍「武士道」が、本来の武士道の紹介として適切であったかどうかは、わかりませんが、後世の日本人へ、また日本のイメージの確立に非常に大きな影響を与えたことは間違いありません。

7つの徳

義とは、正しいこと、正しい行い、正しい行動など。武士道の七つの徳の中で最も大切なもの。「サムライにとって、卑怯な行動や不正な行動ほど恥ずべきものはない。そうした心性が義である」

「勇気とは正しいことをすることである」 孔子の「義を見てなさざるは勇なきなり」を言い換えたものです。

「愛情、寛容、他者への情愛、同情、憐憫は、つねに最高の徳、つまりは人間の魂に備わったあらゆる性質の中でもっとも高いものとして認められる。」

「礼は、もし単に品のよさが損なわれるのを恐れてなされるのであれば、貧弱な徳である。なぜなら、本当の礼とは、他人の気持ちを思いやる心のあらわれだからだ。」

「信、すなわち誠がなければ、礼は茶番や見世物になってしまう。」

名誉

「名誉の感覚は、人格の尊厳と価値について生き生きと自覚することを含んでいる。それは、自己の身分に伴う義務と特権を重んじることを生まれながらにして知り、かつそのように教育されたサムライの特徴をなすものである。」

忠義

「この忠義─目上の者に対する服従および忠実だけは、封建道徳を他の道徳からはっきりと区別する徳目である。」

武士道の名言

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「武士道は、日本の象徴である桜花と同じように、日本の国土に咲く固有の華である。」

「武士道とは、すなわち武士階級がその職業、及び日常生活において守るべき道を意味する。一言でいえば武士の掟、すなわち「高き身分の者に伴う義務」のことである。」

「真に果敢な人間は常に穏やかである。決して驚かされず、何者にもその精神の均衡を乱されない。」

「”義”は武士の掟の中で最も厳格な徳目である。サムライにとって卑劣なる行動、不正な振る舞いほど忌まわしいものはない。」

「私たちは親や目上の者、もしくは目下の者、あるいは社会一般などに負う義理ついて話すときは、義理はいつの間にか義務のこととなった。」

「勇気は義のために行われるものでなければ、徳の中に数えられる価値はないとされた。 いわゆる十分に力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者が、おのれに十五分の力があることがわかってくる。」

「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。」

現代への影響

新渡戸稲造が提唱した「武士道」の「七つの徳」、そして本文からの引用をご紹介しましたが、ここにあげた文章を読むだけで、武士道精神が現代の日本にも大きく影響していることが感じられると思います。例えば、誰が見ていなくても約束は守る、他人と共有する場所をきれいに保つ、罰則がなくてもルールを守る、など日本では幼稚園の子供から普通に行なっていることも、武士道の精神のあらわれであると言えるかもしれません。 「武士道」そのものも非常に面白いですし、武士道を参考にした、現代のビジネスマン向けの指南書なども多数出ています。ぜひ、読んで見てください。